男として生きるために

 来週の9月1日に、ぼくは代表取締役社長に就任する。35歳で中途入社した会社で70すぎまで取締役として働かせもらえただけでもありがたいのに、70の齢を過ぎてまさか社長の大役がまわってるとは思ってもいなかった。

 ぼくに実力があったからではない。すべて運でしかない。なりゆきと言い換えてもいいだろう。
  
 赤字続きで、この15年で50億が消えた会社を立て直す自信があるかと問われて、「まかせてくれ!」と胸をたたくほど厚かましくない。
 じゃあ、自信がないのかといえば、それほど切実でもない。なんとかなるような気がしてならない。勝算というほどではないが、なんとか赤字を解消できるところまでは漕ぎ着けるのではないかと思う。無責任のようだがなんとかなるだろう。
 
 男には決して逃げてはならない局面にいたるときがある。家族を災害や暴漢から守るためのときならまだしも、立場上、従容として命を捨てなくてはならない場合だってあるだろう。
 2014年に転覆事故を起こして修学旅行中の高校生ら295人が亡くなり、9名の行方不明者を出した韓国の旅客船セウォル号のイ・ジュンソク船長の、あまりに醜悪な姿は世界に衝撃を与えた。
 殉職を美化するつもりはない。しかし、彼の姿に韓国の友人たちは口をそろえて、「日本人の船長ならあんなみっともない真似はしないでしょう」と恥じていた。
 
 親戚に上場一部の社長がいた。彼は大手銀行での頭取競争に敗れて赤字で動きが取れなくなっていた大手企業に追いやられた。組合との死闘のさまは、経済小説にもなっていた。どちらかといえば悪役として描かれていたが、どうやら小説は真実とは程遠いらしい。
 何年かして彼は会社を立て直した。見事なものだ。だが、そのとき、彼は末期がんにおかされていた。心労からの発病はだれの目にも明らかだった。
 
 経済人としての自負もあったろう。自分を追いやった古巣の銀行への意地もあったはずだ。たとえ、どのような動機だったとしても、彼が代表取締役社長として会社を立て直し、一万人近い従業員を救ったのはまちがいない。生命と引き換えに会社を破綻の危機から回避したのである。
 最後の株主総会に彼は病院から会場へと車椅子で出かけて壇上に上がり、最後まで議長をつとめた。そして、ほどなく生涯を閉じた。経済人としての執念であり、責任感であろう。武人を見る思いだ。
 
 この人ほど肝は据わっていないが、ぼくも命がけで役割りをまっとうしたい。決して逃げまい。それが社長就任の素朴な決意である。